「録音の現場から
『Mostly Classic』2005年5月号より転載

 

●…ラフマニノフの「ヴォカリーズ」にエルガーの「愛の挨拶」など、誰もが知っている美しい旋律を集めた一枚となっていますね。

 これまで私が培ってきたさまざまなもの、手元に温めてきたカードのいろいろを聴いていただくには、それぞれに色合いや
 個性を持った小品を集めてみるのが一番ではないかと考えました。選曲に当たっては、まずは私が弾きたい作品を好きな
 だけリストアップして、30曲ほどの中から楽しみながら18曲に絞りました。


●‥・チェリストなら誰しもが愛奏するサン=サーンスの「白鳥」ももちろん入っていますね。

 実はこの曲は、スタッフの方からどうしても収録したいとお話をいただいた作品です。世界中の巨匠たちがこぞって取り上げ、
 その素晴らしい世界に幼い煩から触れてきましたから、「80歳を過ぎたら弾きましょう」と冗談交じりに話しては、簡単に演奏
 することはできない作品だと距離を置いていました。

  さらにこの作品はバレエの「瀕死の白鳥」として崇高な世界が示されていますし、スポーツ好きの私は、1994年のリレハン
 メル五輪でオクサナ・バイウルというウクライナの16歳の少女が「白鳥」に合わせてフリーの演技をしてフィギュアスケートの
 金メダルを獲得した感動の場面を目の当たりにしたこともあって、強い思い入れのある特別な存在となっています。


●・‥弾き手の心のうちに厳しく照射しながら、清らかな情感が広がる演奏となっています。

 初めてこの作品を聴いた時のことや心を動かされた演奏の記憶などから離れ、郷愁をすべて断ち切った状態で録音に臨み
 ました。アルバムではこの曲の前に「トロイメライJを置きましたが、こあらは蓮名通りに、夢の中の夢のその夢の中に身をゆ
 だねていますが、「白鳥」は蒙れとは全く逆のスタンスをとっています。思い入れの中にある白鳥ではなく、生きている私自身
 というか、一つの命を持った生身の白鳥がここに現れます。
 
                                                 
●‥・祖父である近衛秀麿の「ちんちん千鳥」も、抒情あふれる深い味わいが耳を捉えます。

 2年ほど前、湘南での小さな演奏会で、私の演奉の返礼にとアマチュア合唱団の方たちがこの曲を歌ってくださったのですが、
 その時、北原白秋の詩に対する近衛秀麿の感性などが身に染みるように理解されて驚き、ショックを受けたことがあります。
 摺りガラスを通して寒々とした情景が広がりながら、そんな中に小さなオレンジの色をした明かりが灯っている。寒さと温かさ
 の両方が存在し、祖父はそういった風情を大切にしたのだと実感させられました。レコーディングに際しては、私の知っている
 「千鳥」そのままに、「千鳥」と−つになっているだけなのですが、収録を終えると厳しかったはずの録音現場の空気が変わっ
 ていて、自分の持っている世界を伝えることができたのではないかと感じています。



●‥・歌詞と音楽を調和させ、言葉を発することのないチェロで表現することは簡単なことではありませんね。

 歌詞と音楽の関係を考えた時、私は楽器も人間と全く同じだということを強く意識しています。銀として生まれた人は、銀であ
 ることを磨かなくてはなりませんし、ダイヤモンドの資質をもって生まれた人はそうあらねばなりません。しかし、銀とダイヤモ
 ンドの価値を比べることはできません。それは違うものだからです。大切なことは資質を昇華することです。楽器についても
 同様で、比べる必要は全くありません。歌とチェロを比べることもできませんし、それはどちらに対しても失礼なことにもなります。

  アルバムのタイトルはブラームスの歌曲から取りましたが、ブラームスは歌詞にインスピレーションを受けて作曲をしたはず
 です。テキストがあることは彼の作った音楽をより良く理解するための助けとなるもので、邪魔になることは決してありません。
 歌詞に対してリスヘクトすることはあっても、それに縛られることは誰の本意でもないでしょう。